憧れを探して

  おまえは、犬獣人になるのに向いてない。

  モニターに映し出された結果は、そう示していた。四方を白い壁に囲まれた診察室で呆然とモニターを眺めていた自分の前に、クリーム色の毛を周りに生やした肉球がゆらゆらと揺れた。ワイシャツの上に白衣を羽織ったゴールデンレトリバーの獣人が、申し訳なさそうに鼻を鳴らしてモニターの一部を指さしている。

  「倉敷くん、ゴメン! ちょっとコレを見てほしいんだ」

  コンコンと爪で叩かれた箇所には、こう書かれていた。獣化適性指数。その項目のみがっくりと谷を作っている。ボーダーぎりぎり……いや、それ以下だ。左上には「倉敷二葉」と俺の名前が表示されている。モニターに映し出されていたのは、俺の獣化適性検査の結果だった。

  獣化。それは人間が獣人に変身することだ。人間が獣人に変身するためには、獣化専門学校に通い、免許を取得する必要がある。俺は地方都市にある某獣化専門学校の生徒で、向かいの椅子に困り顔で座っている島原先生は、獣化施術の専門医。すなわち人間を獣人に変身させる能力を授ける医師だった。

  「健康面には問題なかったんだけどね。先週きみが怪我をしたときに精密検査をした結果気づいたんだけど……どうしても、体質ってあるんだよね」

  俺は目の前が真っ暗になっていた。獣化専門学校に入学してから、半年。適性検査の再検査を言い渡され、その結果がこれだった。今まで俺が過ごしてきた時間は何だったのか――

  現代では、人間が獣人に変身して仕事をするということが一般的になっている。自分の生まれるちょっと昔なんかは、生身の人間だけで働いていたらしい。物心ついた頃に大都市で獣化ブームが起こり、地方都市でも獣化施術を受けられる場所が増え、今では多くの人が獣化免許を取得して働いている。警察官や消防官といった公務員や、ミュージシャンやアイドルなど芸能活動を行う人が多い。ちなみに、獣人と人間の姿は行き来することが可能だ。

  学生たちは将来のため、獣化専門学校で切磋琢磨し、獣化するための素養を身に着けている。俺も今まで、犬獣人になって世の中に出るために、勉強に精を出してきたんだ。

  「きみが犬獣人になりたい気持ちはよーく分かる! 分かるんだ、けど……」

  島原先生は言葉を詰まらせ、マズルを押さえた後、ずいと頭をつき出してきた。

  「とりあえず、ぼくの頭でも撫でておく?」

  「ふざけないで、はっきり言ってください」

  犬獣人らしくフレンドリーに振舞ってみせる先生のボケをスルーして、俺は真顔で問い詰めた。わざわざ獣化しているのは、アニマルセラピーの効果を期待しているのかもしれないけれど、今の俺に効果はない。真面目な話をしているんだ。

  ふざけてはいないんだけどなあ、と先生は少しばかり神妙な顔つきになり、口を開く。

  「ぼくも獣化専門学校を犬獣人として卒業した身として言わせてもらうとね、きみがこのまま犬獣人になるというのなら、とても険しい道を進むことになるよ」

  愛らしい見た目から告げられた残酷な言葉に、俺は言葉を失った。自分から頼んだものの、いざ言葉にされると想像しないほどの重みがあった。

  「獣化適性が低いということは、獣化してもその能力を発揮しにくいということなんだ。ぼくも、もともとは犬の高い検知能力を発揮する救命救急医になりたかったんだ。でも、その点の適性が低いってわかってね。今は犬獣人として、患者さんの心理的なケアを行いながら獣化施術の先生としてやっているわけだけど、納得するまでに時間はかかったよ」

  犬獣人の先輩として語る島原先生の目は、優しかった。本当のことなんだろう。

  俺だって、幼い頃からずっと犬獣人になることを夢見てきて、まさか適性が低いですなんて言われるなんて思いもよらなかった。自動車免許を取りたいのに、教習所の中で自動車を運転することすら難しいと言われているようなものだ。

  「施術ができないわけじゃない。だけど、獣化施術は人生で一度だけだと定められているんだ。倉敷くんならよーく知っているよね」

  先生の言うことに加えて、二種類以上の獣人に変身することは体に大きな負荷がかかるため禁じられている。二年間専門学校に通う中で決めた、ただ一種類の種族のみへの獣化しかできないのだ。

  「しっかり考えて、またおいで」

  かろうじてうなずいて、俺は診察室を後にした。

  そこからどうやって帰ったのか、あまり覚えていない。気がつくと、専門学校に備え付けられた学生寮の部屋の前にたどり着いていた。やたら重苦しい扉を開けると、しめやかな声が奥から飛んできた。

  「二葉、おかえり。検査の結果はどう――」

  廊下からぬっと現れたのは、同じ一年生で、入学時からの友人、石動だ。彼は猫獣人の姿をしていた。サイアミーズという種類のネコで、胴体と顔の周りだけ白く、サファイアブルーの目が特徴だ。意外にも、アイドルを目指すためにその姿になったらしい。

  学年一優秀な石動は先週、他の多くの生徒よりも一か月早く実習を終えて、獣化仮免許を取得していた。仮免取得者は、学校の敷地内でのみ獣化することを認められている。そして、一分一秒でも早く獣人の体を使いこなせるようになるため、学校にいる間は獣人の姿で暮らす人がほとんどだ。

  「俺、なれないのかな……」

  何歩も先を進んでいる友人の姿を目にして、ぽつりと俺は呟いた。

  「ずっとずっと、犬獣人になることを目指してきたのに。獣化適性が低いから、夢を諦めなきゃいけないのかな……」

  弱気な言葉が止まらない。今まで、一度もこんなことはなかったのに。検査結果という、無慈悲なデータに対して、どう対処していいのかわからない。

  「お前がそう思うんなら、そうなんじゃないか」

  突き放すような態度をとる石動に対して、俺は再び黙ってしまう。

  石動が甘いことは言わないのは、よく知っている。優しい言葉をかけてほしかったわけじゃない。でも、目頭は熱くなるばかりで、涙がこぼれそうになってしまう。

  「お前の犬獣人になりたいという思いは、もっと強いものだと思っていたが」

  「なんだと……」

  思わず、土足のまま石動に飛びかかった。が、ネコの体を使ってしゃなりとかわされてしまう。

  「お前はもう実習を終えて、仮免も取れているもんな。なんだって言えるよな!」

  「そうだ。悔しかったら、検査の数字なんかに悩んでないで、どうにかすればいいだろう!」

  俺たちは玄関と廊下の間で口論を始めた。喧嘩することはたまにあるけれど、今回はどうしても腹が立って仕方がなかった。石動は憧れに向かって望みの獣人になることができているのに、俺ときたら――

  「まあまあ、それくらいにしておきなよ」

  俺たちの言い争いの火を覆うかのように、キッチンの奥からのんびりとした声が飛んできた。寮で同室のシロクマ獣人の二年生、北上さんだ。以前、ホッキョクグマの特徴を寒冷地で活かしながら、フィールドワークを行う研究者になりたいと語っていた。二年目になると指導員のもと学校外での活動が主になるんだけれど、今日はもう帰ってきていたようだ。聞かれていたなんて恥ずかしい。

  北上さんはあまったるい香りを漂わせているココアの入ったマグカップをキッチンから三つ運び込んで、廊下に突っ立っていた俺たちを部屋の中に招き入れた。

  「石動くん、友人想いなのは伝わってくるからさ。もう少しマイルドに接してあげなよ」

  「べつに。二葉は頑固だから、強く言わないとわからないんですよ」

  「そうだねえ。倉敷くん、きみは抱え込みすぎだよ。いっぱいいっぱいになる前に、ぼくたちに相談してくれたっていいんだよ」

  「北上さんは楽観的すぎると思いますけど」

  北上さんは、きつく当たる石動を、もう一度まあまあと宥めて俺に向き直った。

  「全ての物事は、きみが思うよりもきっと悪くはならないよ。良くなるとも限らないけど、それでもやってみたらいいんじゃないかな。大事なのは、きみがどうしたいかという気持ちだよ」

  「俺が、どうしたいか――」

  どうして、俺は犬獣人になりたいのか。ずっと憧れてきたのか。

  それには、明確なきっかけがあった。俺が十歳になる手前だっただろうか。犬獣人に命を救われたのだ。

  祖父母の家に行った冬休み、近所の山中にある、寂れた神社へひとりで探検に出かけた。探検といっても、普段公園に遊びに行く格好と変わらなかったと思う。そんな折、幼い俺は境内の裏が崖になっていることに気づかずに、足を踏み外してしまった。

  崖の下で動くことができず、寒くて寂しくて凍えてしまいそうで、もう本当にダメだと思った時に、暖かい毛皮に包まれるのを感じた。それが、俺を救ってくれたシェパードという種族の犬獣人だった。そのあとすぐに、俺は気を失ってしまったのだけれど、横顔のかっこよさは脳裏に刻まれて一度も剥がれることはなかった。

  俺もあの犬獣人のようになりたい。そう思ってから色々と職業について調べていると、救助犬という存在を知った。犬だけではなく、獣人の救助犬……自衛官という仕事があることもわかった。これだ。助けられた恩を、同じように返したい。だから、犬獣人の種族も、シェパードになると心に決めていたのだ。

  「わかったみたいだね」

  北上さんの朗らかな声に、ハッとする。俺の変化した表情を見てにこにこと微笑みながら、北上さんは言葉を継いだ。

  「この先何が起こるかわからないのに、ぼくたちは一種類の獣人になることしかできない。だから、原点――自分の軸となる部分が大事になる。そう思うんだ」

  俺たちとひとつしか学年が変わらないのに、おおらかな態度で語る北上さんの話は、とても説得力があった。それはシロクマの体格のよさだけではなく、北上さん自身の芯の強さが所以だろう。

  「北上さん、ありがとうございます。俺自身がどうしたいのか、しっかり胸に刻んでおきます」

  「おれも、少し言い過ぎた。すまない」

  「いや、俺の方こそ急に感情的になってごめん」

  相変わらず不愛想な表情で謝る石動の黒一色の尻尾は、ピンと天井を向いていた。確かネコ獣人が尻尾を立ててしまうのは、デレているときだったっけ。北上さんの言うとおり、意外と俺のことを考えてくれているんだなあ。俺は深々と謝りながら、二人の顔を見て告げた。

  「犬獣人に、なれないわけじゃないんだ。やれるだけのことを、やってみるよ」

  それからすぐに自衛官の仕事内容を改めて調べてみたり、犬獣人になって活躍している著名人についての資料を集めたりしてみた。皆がみんな順調に獣化能力を生かして働いているわけではないことがわかったけれど、俺の気持ちには変化はなかった。

  そして、再び島原先生の診察室を訪れた。犬獣人へ獣化することに決心したことを告げた際には困惑していたけれど、二言はないと伝えると、俺の気持ちを汲んで獣化施術を引き受けてくれることになった。

  施術の翌日、ベッドから起きて鏡を見ると、そこにはひとりの犬獣人がいた。こげ茶色の耳に力を込めてみると、ぴくぴくと上下に動く。間違いなく本物、俺の耳だ。手には黒っぽくもまだ柔らかい肉球がついており、顔をぺたぺたと触ってみると、しっかり鼻が前に伸びているのを感じることができた。お尻には太くて柔らかいこげ茶色の尻尾が、重力に逆らってぶんぶんと空を切っていた。

  「これが、犬の感覚……!」

  基本的な骨格は人間のままであるのに、研ぎ澄まされている。病院内に響く電子音が、いつもより鮮明に聞こえる。薬っぽいにおいが、いつもよりキツく感じる。獣化適性が低いだなんて、嘘なんじゃないかと思うくらいだ。

  「施術はばっちり、成功したよ! 最初は慣れないかもしれないけれど、まずはその体を使ってみることに専念してみてね。人間に戻るときは、最初は投薬になるけれど、徐々に自力でできるようになるよ」

  それからは島原先生の言うとおり、学校の実習に対してこれまで以上に真剣に取り組んだ。最初は獣化したまま、歩行や発声のテストや、嗅覚や聴覚を強化するトレーニングが基本となる。自動車のアクセルとブレーキを踏むところから始めて、駐車や複雑な道の運転の練習をするようなものだろうか。獣化適性が低いという診断結果を覆すつもりで、石動や北上さんにもアドバイスをもらいながら、基礎トレーニングを入念に行った。

  一か月弱が経ち、実習後の仮免試験が行われる日が来た。この頃になると、薬なしで人間と獣人の姿を往復できるようになっていて、犬獣人としての体に馴染んでいる感覚を覚えていた。一方で、今まで身に着けてきた能力が実用的なものなのか。社会に出てやっていけるのか。自分の思い込みではないのか。そんな不安はなかなか拭われなかった。

  「本日の試験監督を担当します。島原です」

  「って、島原先生?」

  試験場に現れたのは、すっかり見慣れたゴールデンレトリバーだった。けれど、白衣ではなく黒いスーツを身にまとっていて、いつもとは違う雰囲気を醸し出していた。驚く俺に対してもとくにリアクションはなく、まるで別人のようだ。

  「それでは、試験内容を発表します」

  先生から俺に割り当てられた試験内容は「学校の敷地内に埋まっているおもちゃのぬいぐるみを一時間以内に見つける」ことだった。とてもシンプルというか、地味な内容だけれど、これを人間がやろうと思えばとても不可能な課題となるだろう。合格基準もまたシンプルに、課題が達成できるかどうか、だ。先生の情など関係なく結果が出る。

  「それでは、獣化を開始してください」

  スタートラインに立つ。意識しないようにしても、足が震えてしまう。

  大丈夫。やれるだけのことはやった。当たって砕けろだ。肩に力が入るのを抑えながら、獣化を開始した。

  「うぉおん!」

  やるぞ、という気持ちを込めて、シェパード獣人に獣化した俺は一吠えした。

  「試験開始です。こちらをお受け取りください」

  島原先生は一枚の紙と、ぬいぐるみと同じ香りがつけてあるというスカーフを渡してくれた。

  紙には試験内容と学校の敷地内の地図、それからいくつか条件が記載されていた。学校の敷地内の地図は事前に頭に入れている。とはいえ、指定された区域だけでも有名なテーマパークほどの広さがある。一時間で周り切ることはいくら犬獣人の脚力を以てしても不可能だ。

  他に何か手掛かりはないか……すると、条件の欄に「ぬいぐるみは一定の間隔で助けを求める」との一文があった。つまり、何らかの音を発する装置が設置されているということだろうか。これを利用しないという手はない。

  スタート地点を中心として、なだらかな山になっているけれど、ものを隠すなら木の多い林エリアだろうか。しかし、一度入ってしまうと後戻りが難しい。俺は最初に平原エリアの走っていった。

  しかし、十五分程度走り回っても、何も聞こえてこない。こっちじゃなかったか……戻りの時間を考えると、これ以上留まることはできない。焦っちゃだめだ。俺はできるだけ心を落ち着かせながら、スタート地点へと戻っていった。

  残り時間は約三十分。耳をピンと立てながら走っていると、木々の間からかすかながら独特なリズムの音が聞こえてきた。短い音が三回、長い音が三回、短い音が三回……これは、モールス信号でのSOSの音だ!

  「こっちか……!」

  このタイミングでスカーフをマズルの先に押し当て、そのにおいを頭に叩き込んだ。地面に手をついて、同じ匂いが漂っていないかを血眼になって探す。けれども、冷やかされているかのように、なかなか見つからない。SOSの音は確かに聞こえるのに、木々に反射されたり吸収されたりして、正確な位置が割り出せない。残り時間はあと十分を切っている。

  落ち着け。落ち着くんだ。冷静にならなければ、犬獣人の力を最大限発揮することはできない。島原先生がよく言っていたじゃないか――

  そこで、ふと、親しみのあるにおいが鼻先をくすぐった。あれ、このにおい、どこかで……

  「……島原先生のにおい?」

  ぬいぐるみを隠したのが島原先生なのであれば、そこで作業を行っていただけ長くにおいが残っているはずだ。一体いつ埋めたのかまでは予測がつかないけれど、今はそれに賭けるしかない。

  「ここだ!」

  残り一分。俺は一点集中して、地面を掘り起こした。

  あった。くまのぬいぐるみが、汚れが付かないようにしっかりと包装されてから地面に埋められ、SOSの音を発していた。

  幼い頃遭難した自分を助け出してくれた犬獣人と、その姿が重なった気がした。

  「俺にだって、できたんだ……!」

  「倉敷くん、よく頑張ったね」

  ぬいぐるみから発せられる音が止むと同時に、スーツ姿の……いや、スーツの上から白衣を羽織った島原先生が林の中から現れた。クリーム色のおだやかな表情で微笑んでいたのは、いつもの先生だった。

  「合格だよ」

  その言葉に、思わず吠えてしまいそうになる。

  「ようこそ、犬獣人の世界へ!」

  まだはじめの一歩を踏み出したばかりだというのはわかっている。けれど、それは俺にとって大きな一歩だった。

  抱き続けた憧れは、もう手放さない。