狂怪線上のアートマン

  第一章

  シェン・ロウは昼間の月を眺めていた。正確には、ドームの内側に映る天体ビジョンといったところだが。教育用タブレットのWEBカメラが彼の横顔パターンを認識し、画面隅に映し出す。青緑の羽毛に覆われたファードラゴンではあるが、瞳や牙の並び方などに狼獣人とのハーフらしい面影を残していた。

  「ちょっとお兄ちゃん! いくら自習の時間でも、よそ見してちゃ警告アラームがなっちゃうわよ!」

  リナ・ロウがそんな兄の脇腹を小突いた。彼女も羽毛に覆われたファードラゴンではあるが、全身白色で狼の面影は宿していない。腹違いの妹であるからだ。

  「狂怪獣デイモスに外の世界を蹂躙されて、前時代からドームにこもりっきりのオレたちが、宇宙について学んだって何になるんだよ?」

  「またそんな屁理屈ばっかり言って! 古典天体学自習の時間なんだから空気読んでよ!」

  「あながち、屁理屈とも言えないのですけどね」

  前の席のクラス委員のアキラ・コンスタンティンが振り返りながら口を挟んだ。彼は狐獣人なので理知的ではあるものの、特有の狡賢さは抜けきれるものではなかった。

  「例えば惑星の並び。データ上の正解はこれですが、保管庫の図書によりますと、明らかに不自然な点があるのですがね」

  アキラが開いてみせた古本から黴の臭いと埃が舞い散る。リナは顔をしかめたが、シェンは男子らしい好奇心で食いついてきた。

  「水金地火木土天 海? ここ、なんで修正テープ貼ってあるんだ? 剥がしてやろうぜ!」

  竜の爪で該当部分を引っ掻くと、「冥」の文字が露わになった。

  「ほら、旧時代の資料では星は一つ多かったのですよ。今の定説や常識も永遠に正しいと言い切れますか? 星が無くなることが正しいと言うのであれば、我々が住んでいるこの星も、果たして存在していると言えるのでしょうかね」

  演説のようにまくしたてるアキラを目の前にして、リナは二の句が告げなかった。

  「この星がどうかはともかく、実際に宇宙がどうなってるのか見に行こうぜ!」

  「では、一緒に行きましょうか。こんな机上の空論などで、星の存在を左右されてはたまりませんからね」

  「ちょっとお兄ちゃん、どこ行くの! まだ自習時間は終わってないわよ!」

  アキラは自習カリキュラムの満点のテスト結果をリナに見せつけて、シェンと一緒に自習室を飛び出していった。

  「満点を取った上で自習など無駄だと主張しましょう。何か問題でも? ここからは社会見学の時間ですよ」

  その後彼らは、社会の惨たらしさを垣間見ることになるのだが。

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  第二章

  シェンとアキラは、その日のうちに街外れのスペースポートに辿り着いた。それほどの狭い世界ではあったのだ。

  「アキラ、そこの扉から入れそうか」

  「公僕の生成鍵システムの解読など造作もないことですよ。……っていうかこれ、鍵がかかってませんが。電子ロックの基底電源が入ってないとは、これはこれでおかしいのですが……まあいいでしょう。好都合です」

  すんなりと施設の最深部まで進めた二人ではあったが、ロケットに乗り込むための搭乗口はどうしても見つけることはできなかった。

  「どういうことだよ、アキラ?」

  「こういうことだと思いますよ、シェン!」

  アキラはデータベースルームに入り込むと、端末を操作してロケットの断面図をモニターに表示した。

  「思ったとおりです。居住部分にも爆発物が集積されている。ドームに覆われた街の中に、外に飛び立つための宇宙港があるとはおかしいとは思っていたのですよ。あれはロケットなどではなく、デイモス迎撃用のミサイルだったのですね」

  「なんだよ、またデイモスのせいかよ! そんな見たこともない奴らに怯えきって飛び立てないでいるなんて、この世界はどうなっているんだよ!」

  「どうもこうもないでしょ、こんな所まで潜り込んで!」

  いきなり声をかけられたので驚いて振り返る二人の前に、リナが姿を現した。

  「うわ! なんだリナか、何しに来たんだよ!」

  「あんなこと言って飛び出して行って、放っておけるわけないでしょ! 連れ戻しにきたの!」

  「そんなこと言われても今更引き返せるかよ!」

  リナを一人で帰すわけにもいかなかったので、三人でさらに最深部に進んでいくと、地下に降りる階段があった。降りた先はだだっ広い空間になっていて、無数の培養カプセルが設置されていた。その中には3mほどの口が縦向きについているおぞましき怪物が浸されていた。

  「こ、これがデイモス……噂には聞いてたけど、なんでこんな所に……」

  「毒を以て毒を制す。偉い人たちの考えそうなことですよ。デイモスに対抗するためには、デイモスの調査は必須ですからね」

  「それだけではないのだがな。デイモスの力を利用して、デイモスを凌駕するほどの対抗手段を軍は造り上げたのだ」

  三人はハッとして急に顔を見合わせた。今のは誰の発言でもなかったからだ。

  「やっぱりここ、薄気味悪いわ。さっさと出ましょう!」

  リナが引き返そうとすると、入口近くの培養カプセルにいきなりヒビが入った!

  ガッシャーン! ガガッ! バリリッ!

  無数のガラス片がリナの身体に降り注ぎ、純白の羽毛が血で染まった。

  「痛い! ひいいっ! 助けて!」

  恐怖はこれだけでは終わらなかった。割れたカプセルから飛び出たデイモスが、大きく口を蠢かせながら一直線にリナに迫ってくる! 捕食動作に入ったのだ!

  「リナ! オレの手につかまれ!」

  つかんだ手を引き寄せ、突進から身を翻した! しかしデイモスは動きを止めることなく、一直線に突き進んでいく!

  「う、うわーっ!」

  アキラの叫びが研究所内に響き渡った! デイモスの狙いは最初からアキラだったのだ!

  「ア、アキラー!」

  駆寄ろうとするシェンの耳に、また見知らぬものの声が聞こえてきた。

  「近づくな! もはや彼は助からないだろう。傷を負った子を連れてこちらまで来るといい」

  アキラを助けたいが、リナを放り出すわけにもいかない。辛い選択ではあるが声に従うことにした。

  「自己紹介が遅れてしまったな。私はジョナサン・シルバーコード。人間の脳から生まれたAIだ。プロジェクト・アートマンの頭脳として配置されている」

  傷だらけのリナを必死で抱きかかえるシェンに対して、お構いなしに話は続いた。

  「軍が研究のためにデイモスの死体をここで調査していたことは、君たちの推測どおりだ。しかしデイモスはその裏をかき、仮死状態のデイモスを死体集団の中に送り込んだのだ。培養液の中で意識を取り戻したデイモスは、たちまちスペースポートラボの研究員や軍人を捕食してしまったのだよ」

  「いきさつはどうでもいい! これからどうするかだろ! どうすれば、リナを助けられるんだよ!」

  「その質問には条件付き承認を伴う。こちらの提示する条件に同意するかね?」

  「なんでもいいから、さっさとしろよ!」

  「なんでもいい、ということを無条件承認と解釈した。では実行に移る!」

  突然培養カプセル内のデイモスの一体が躍動し、触手を伸ばしてリナの身体を絡め取り、あっという間に口内に押し込んで捕食を完了してしまった!

  「な、なにしやがる! せっかくデイモスから逃したのに、これじゃ意味ないだろ!」

  「制御できるデイモスを利用したので問題はない。全身の傷は肉壁内で治癒される。プロジェクト・アートマンの制御システムを作動しよう!」

  ギュイーン! ガチャ、ガチャ!

  天井からアームが伸びてきて、リナを捕食したデイモスを研究室の奥まで吊り上げていった。そこには巨人のようなロボットがしゃがみこんでおり、デイモスは下腹部のあたりに装着された。

  ジョナサンの言葉を信用するならば、これでひとまずリサは安心だろう。シェンがホッとしたのも束の間……

  「てめえら! 喰い殺してやる!」

  縦向きの口の上にアキラのような顔を浮かばせて、デイモスが向かってくる! アキラは決してこのような言葉を吐かない。意識まで乗っ取られたのは明白だった。

  「ジョナサン、どうすればアキラを救えるんだ?」

  「意識まで乗っ取られたものを救うすべはない」

  「アキラもこんなことは望んでないはずだ。どうすれば止められるんだよ!」

  「アートマンを起動すれば対抗手段になりうるが……しかし今まで同じ方法で起動を試みた候補生は、誰一人として生きては帰らなかったのだぞ」

  「かまわねえ! 一か八かだ!」

  それを受けて、ジョナサンのAI音声が力強くシェンに指令を発した!

  「デイモスに喰われるか、アートマンに喰われるか、5分以内に決断せよ!」

  「5秒もいらねえ! こっちに喰われてやる!」

  シェンが勢いよくアートマンの口に突入していった!

  グ、ルル、ゴゴ……ニュル、ヌチャ!

  肉壁が、シェンの体を締め付ける! 抗うすべもなく、奥へ、奥へと飲み込まれていった。

  「お、お兄ちゃん……助けて……ここで、一人ぼっちなんて、寂しい……」

  肉壁を伝わってリナの声が、思念が呼びかけてきた。

  「……いいや、助けない! もう少しだけ、一人ぼっちで耐えるんだ! オレは誰からも、自由でありたい!」

  シェンは身を捩り、リナの思念が届かないほうの深淵へと落ちていった。

  「そっちの分岐を選ぶとは! これは、いけるかもしれないな! セパレートフォーメーション、スタンバイOK! 二人とも、今は立ち上がることだけを考えるんだ!」

  「うおおおおおおー! 立てー!」

  「うわあああああー! 立ってー!」

  兄と妹、決して交わることの許されない意識が、狂怪線上で[[rb:交差 > クロス]]した!

  アートマンの体の中心に、膨大な思念波エネルギーが湧き上がる!

  「アートマン、発進!」

  ズオオオオオオー!

  うずくまっていたアートマンが立ち上がり、地下室の天井を突き破った!

  [newpage]

  第三章

  地表に立ったアートマンの前は、地下空洞が陥没して土砂崩れが起きていた。

  「この程度でデイモスがやられるとは思えない。油断するな! どこから飛びかかってくるかわからないぞ! ……そこだな! ネーヴェリュームを使え!」

  「いくぞー! アートマン、ネーヴェリューム!」

  アートマンが両手を腰に当てると、体の中心から光線が発射され、デイモスの体を貫いた!

  「手応えがなさすぎるわ! 地中から死体を投げただけかも! お兄ちゃん、そこよ!」

  「デイモス、コンシャスネス!」

  いつの間にか遠方に潜んでいたデイモスの口から、光線が照射された!

  「アートマン、ネーヴェリューム!」

  なんとか光線技を当てて直撃を回避したが、威力の差は歴然としていた。次第に押し負かされる形で双方の光線が消失したのだった。

  「油断するな! アキラだけではなく、研究員を全員喰ったデイモスだ! 意識量の差は覆せないぞ!」

  「お兄ちゃん! 今度はハイジャンプで飛び越えていくつもりだわ!」

  「しめたぞ! ジャンプ中には空中制御ができないはずだ。軌道を計算に入れて、下から狙い撃つんだ!」

  「アートマン、ネーヴェリューム!」

  アートマンが放った光線は、デイモスをわずかに外れて真上に飛んでいった。

  「バカめ! こっちは空中でも照射が可能だ! デイモス、ハイコンシャスネス!」

  ズバー! ズッシーン!

  光線の直撃を受け、アートマンがズシンと地面に仰向けに倒れ込んだ。

  「くたばったか! 肉片を丸ごと喰らい尽くしてやるぜ!」

  身動きが取れなくなったアートマンの生体ユニットめがけて、デイモスが突進する!

  「うぬっ、ここまでか……な、なんだあの光は!」

  アートマンが最後に放った光線がドーム天井を貫き、穴から月明かりが地上に降り注いでいたのだった!

  「ウオオオオオーーン! 身体中の血がたぎるぜ!」

  「あれが、本当の月なの! お兄ちゃん! また、一緒になりたい!」

  「生体ユニット、バイオリズム急上昇!」

  パイロット二人を押し出すように、生体ユニットの煽動が活性化した! 竜人を包む羽毛の塊がぶつかりあい、一つになり、七色の光弾となって生体ユニットから放たれる!

  「アートマン、ダブリューム!」

  二者合体竜人光弾は一直線にデイモスを貫き、爆散する肉片からアキラの生体部分だけを掴みだしていた。

  「ああ……月が、本物の月が見える……ハッ、まさかシェン、はじめからこれを狙っていたのか?」

  唖然とするアキラの肉片は、光に包まれてチリ一つ残さずに消滅していった。

  「それは違うな」

  シェンは憂いと狂気を湛えた目で呟いた。

  「オレはいつでも、[[rb:宇宙 > ソラ]]を狙っているからだ」

  「もう旅立っていいのか、シェン、リナ。勝利に酔いしれても良いのだぞ」

  ジョナサンの問いかけを無視して、再びアートマンに搭乗した二人はドームの穴から外を眺めていた。

  「いつか[[rb:宇宙 > ソラ]]に出る! それがオレの夢だ!」

  少年の夢はいつか現実になるだろう。見上げる宇宙には、垣根も狂怪線もないのだから。