Ad
[chapter:~これまでのあらすじ~]
人間が遥か昔に滅び、〝伝説上の化け物〟に過ぎなくなった世界、《楽土》。そこでは大小様々な国家が覇権を巡って争いを続けていた。
完全なる実力主義を唱え、自らも《楽土》一の術士と[[rb:謳 > うた]]われる老獅子〈[[rb:端倪 > たんげい]]〉を君主に[[rb:戴 > いただ]]く強国、『左目』。
国土こそごく小規模ながらも精鋭部隊を擁し、最年少の狼〈[[rb:磨崖 > まがい]]〉の策謀によって巧妙に立ち回る山あいの国『鼻』。
そんな中、兄弟による跡目争いで真っ二つに分裂していた『[[rb:顎 > あぎと]]の国』の民の前に、或る日突然〝赤子〟が――人間の子供が姿を現す。その少年は優柔不断な海竜〈[[rb:韜晦 > とうかい]]〉を補佐し、瞬く間に『顎』の再統一を果たした。のみならず、嘗て他国に切り取られたり実質的に植民地化されたりしていた旧領の奪還に向け、進軍を開始。連戦連勝を重ねる彼のことを、国民はやがて神の使いや化身そのものとして熱狂的に崇め、支持するように。
『左目』の将軍の一人[[rb:墨雲 > すみぐも]]は大多数の獣人たちと同様、人間復活の報に関しては懐疑的であったが、戦場にて遂にその少年――[[rb:赫 > かく]]と[[rb:邂逅 > かいこう]]する。
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[chapter:~用語~]
【《楽土》】
この物語の舞台。人間が「火」を発明してからと言うもの、獣人は長い間被支配者層に甘んじていたが、とある英雄が後述のアニマを発見したことをきっかけに反旗を翻した。全面戦争に発展した末、細菌兵器『RED』を持ち出した人間側がほぼ自滅するような形で壊滅。嘗て「火」を発明した人間側の英雄の末裔もまた生きながらにして八つ裂きにされ、その血肉はそれぞれの種族の代表者へと分け与えられたと言う。
《楽土》とは初代の王となったその獣人側の英雄が付けた新たなる国の名であり、新たなる世界そのものの名であったが、彼の死後間もなく無数に分裂し、今なお再統一は果たされていない。現在も存続している王家は、その遥かな昔に人間の血肉を喰らった者の子孫とされており、彼らが統治する国の名もそれにちなんで『左目』や『鼻』、『顎』など人体の各部位の名称を冠している。
【アニマ】
普段は肉体や精神と言う檻に囚われている魂本来の力を解き放つ[[rb:御業 > みわざ]]。基本術と固有術の二種類に大別される。狭義では、後者の固有術のみを指す。
偽りの「火」(=科学文明)に惑わされ、魂が衰弱し切ってしまった人間には扱えないとされている。
【基本術】
火や水など、いくつかの系統に分類・体系化されたもの。各種族や個々人によって向き不向きは存在するが、然るべき教育を受け、訓練を重ねれば誰でも使えるようになる、字義通り基本的な術。「ごく小さな火を点す」「ナイフの切れ味を鋭くする」など、市井の人々も日常生活で有効活用している。
【固有術】
各自の〝魂のかたち〟に基づくもの。こちらもいくつかの系統に分類されており、それと一致する基本術への適性が高くなるが、分類が困難なものも珍しくない。
基本術とは比較にならない威力や代替不可能な性質を有するが、こちらは教育や訓練を経ても発現には至らない者が多数を占める。また基本術に比べると体力・気力面での消耗が激しい。
便宜上固有と呼称されてはいるものの、『左目』王家の〝流体操作〟のように、血筋によって代々受け継がれるものも存在する。
【術士】
狭義のアニマ、すなわち固有術を発現させ、意のままに操ることができるようになった者。術士同士の戦闘は固有術を主軸に、適宜補助的に基本術を用いるのがセオリー。しかし高位の術士の場合、基本術ですら十分な殺傷力を得られる。
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[chapter:~主要登場人物~]
(※年齢は人間に換算した場合の、おおよそのもの)
【[[rb:白峰 > しらみね]]】
『鼻の国』に仕える歴戦の猛将。アラフィフの白熊。元は流れの傭兵だったが、その〝評判〟を見込んだ先代の王によって取り立てられた。
重装備の巨体に、傷だらけのいかつい顔と言う如何にも恐ろしげな風貌。誰よりも多くの戦場で誰よりも多くの敵を殺したとされるが、本人は至って温厚かつ誠実な人柄で、部下たちからの信頼も厚い。しかし彼には或る秘密が……?
【[[rb:陸 > くが]]】
『左目の国』の末の王子。ローティーンの黒獅子。尊大な態度を取るが、本当は淋しがり屋。〈端倪〉が実の娘に産ませた子供で、生まれつき心臓に欠陥があるが、アニマで血流を操ることで辛うじて生き永らえている。
現在は『鼻』にて転地療養中。お目付け役の白峰のことを気に入っている。
【〈磨崖〉】
『鼻』の現国王。アラサーの灰色狼。鷹揚を通り越していい加減としか思えない性格だが、その戦略・戦術眼は確か。陸に対しても気安く、親しげに接してくるが……?
ちなみに〈磨崖〉は〈端倪〉や〈韜晦〉と同じく、弧で[[rb:括 > くく]]られていることから分かる通り、あくまで二つ名。《楽土》では王を本名で呼ぶことは不敬だとされているため。
【[[rb:雷花 > らいか]]】
『左目』の将軍の一人。アラフォーの象。只今、絶賛[[rb:番 > つが]]い募集中。「尖ったもの」に自動的に反撃するアニマを持つ。
【[[rb:潮 > うしお]]】
『顎の国』所属。海賊上がりのアラフォーの[[rb:鯱 > しゃち]]。「若」こと赫に一目惚れし、一の子分を名乗っている――が、残念ながら目下その恋は実りそうもない。自他を〝液状化〟するアニマを持つ。
【墨雲】
二十代後半の黒豹。寡黙で少々陰気だが、傑出した武人。雷花と同じ『左目』の将軍の一人だったが、潮に敗北し『顎』の捕虜に。陸にはとても懐かれ、実の兄やおじのように慕われていた。肉体を極細の糸状に解きほぐすアニマを持つ。
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[chapter:第五話 鳳仙花]
▼1
だだっ広い平原に、二種類の軍旗が翻っている。一つは《楽土》一の国力を誇る『左目の国』。もう一つは周辺諸国を着実に[[rb:併呑 > へいどん]]し続け、それに匹敵する領土を得るに至った『心臓の国』。それぞれ、国名が示す通りの肉体の部位が旗にはデザインされているが、その構造は明らかに獣人ではなく、遥か昔に滅びた筈の人間のもの。
『左目』は現国王、老獅子〈[[rb:端倪 > たんげい]]〉の徹底的な実力主義によって、そして『心臓』はその領土の成り立ちによって、軍団を構成する種族は両軍共に、見事なまでにばらばらである。[[rb:犀 > さい]]に猪、牛に兎。禿鷹、狐、熊に山羊。
――そんな彼らが〝伝説上の生き物〟の一部が描かれた旗の下にそれぞれ[[rb:同志 > ・・]]としてまとめ上げられているのは、何とも皮肉な光景であった。
(……罠、だな)
敵軍の編成を一目見るなり、『心臓』の指揮官はそう結論付けた。『左目』を率いているのは若輩のハイエナ獣人。正規軍としての旗こそ掲げているものの、どう見ても傭兵上がりや追い剥ぎ・ゴロツキの寄せ集めで、統率はなっておらず、装備も各自好き勝手なものを身につけている。それでも頭数さえ集めれば乱戦に持ち込めたかも知れないが、偵察によればどう多めに見積もっても『心臓』軍の三分の一以下。まだ開戦の[[rb:狼煙 > のろし]]も上がっていないのに恐れをなして敵前逃亡する者まで散見される始末で、伏兵がいる気配もない。ここまで来るとあの指揮官が余程有能なのか、殺傷能力の高いアニマを有しているのか、或いは――
(こちらは捨て駒、か)
『心臓』は現在二正面作戦を取っており、その漁夫の利を狙うように『[[rb:顎 > あぎと]]』まで海と陸双方から攻め込んできたとなれば、いかに『左目』が強国と言っても、合計四方面に同等に兵力を割く余裕はない筈だ。そこでいっそこちらを切り捨て、近年急速に勢力を拡大しつつある『顎』を叩く決断を下したのだろう。こんなだだっ広いだけの平原が奪われたところで痛くも痒くもないし、後でいくらでも大軍を派遣して奪い返せると言うわけだ。
(本国とあちらの指揮官には、既に伝令を送ったが――今から軍を返して、あちらに援軍に駆け付けようとしても間に合うまい。捨て駒と理解した上で取らねばならんのは癪に障るが……)
指揮官がそんな風に思考を巡らしているうち、到頭[[rb:自棄 > やけ]]を起こしたのかそれとも一番槍の手柄を立てようとしたのか、ハイエナの制止を無視して『左目』軍の一部が突撃してきた。いずれも簡単に『心臓』軍の兵に討ち取られてしまったが、特に懐に爆弾を抱えたり、病気に感染したりしている様子もない。ましてや「死」が引き金になって発動するタイプのアニマでもなさそうだ。
――本当に無為無策だったのかと呆れ果てて、敵の動静を遠くにうかがう指揮官。当のハイエナは部下が次々に暴走・自滅していく様を困ったように眺めていたが、その口元には戦場には似つかわしくない、ヘラヘラとした軽薄な笑みが浮かんでいた。
「いかが致しましょう」
と副官が、それ以上に困ったような顔付きで尋ねてくる。いっそ降伏を促したいところだが、あんなに統率の乱れた軍が素直に応じてくれるとも思えない。これ以上戦場が、と言うより自軍が混乱する前に一気に蹴散らすべきだと判断し、号令をかけようとした矢先――
「二時の方角より重騎兵接近! 数、三十余! 『鼻の国』の旗を掲げております!」
「……何だと?」
『左目』と『鼻』は地理的に近く、長年戦略的に友好関係を結んでいる。それを更に盤石なものにするため、つい二ヶ月程前にも実質的な「人質の出し合い」をおこなったと言う情報も入ってきている。
――しかし、如何に精強で知られる『鼻』の兵とは言え、たったの三十騎ではこの劣勢を覆しようもないだろう。『鼻』としてもこちらは捨て駒だと理解しているものの、同盟を結んでいる手前、たとえ少数でも兵を送っておかなければ〈端倪〉の不興を買うと思ったに違いない。
(〈[[rb:磨崖 > まがい]]〉王のやりそうなことだ)
『鼻』を[[rb:統 > す]]べる狼獣人の国王の、伝聞でしか知らない容貌を思い描き、渋い顔をする指揮官。種族差もあるので一概に比較は出来ないものの、《楽土》における最年少の王でありながら、策謀家として悪名高い男だった。自らは険阻な岩山に築かれた居城から一歩も外に出ることなく、文字通り高みの見物を決め込んでいると言うのも、平民からの叩き上げである指揮官には気に喰わない。
やがてその重騎兵たちが丈高い青草を踏み荒らしながら突進してくる様が、指揮官にも目視できた。とにかく陣形を固めさせると、迎え撃つ準備を整える。射程に入るタイミングで弓兵に一斉に矢を射かけさせたが、敵兵はいずれも巧みに手綱をさばいてそれを[[rb:躱 > かわ]]し、回避し切れなかった分は鎧や盾で弾いたり、剣で切り落としたりして防いでいく。
「くっ……! もっと守りを固めろ! 突破されるぞ!」
その先頭に立つのは角のある巨大な騎獣にまたがった、これまた巨大な体躯の白熊獣人。重厚な金属製の全身鎧を身にまとい、いかつい顔には無数の向こう傷が走っている。既に老境に差しかかっているようだが、片方の耳は破れ、唇も一部が裂けて鋭い牙や歯茎が露出し、何とも恐ろしげな風貌だった。
――『左目』軍をも蹴散らす勢いで猛然と駆けてきたその巨漢が、なぜかピタリと騎獣に足を停めさせた。部下たちも後方で待機させる。大勢の弓兵が自分に狙いを定めているのを物ともせずに、
「やあやあ我こそは、『鼻の国』の将軍――〈鳳仙花〉の[[rb:白峰 > しらみね]]なり! この名を聞いて恐れぬ者あらば、いざ挑みかかって参れ!」
「〈鳳仙花〉だと……!?」
その異名を耳にするなり、副官に命じて密集陣形を解かせようとする指揮官。しかしそれより一瞬早く、大将首と知って功名心に駆られた、或いは先手必勝だと先走った一部の兵が矢を射かけると同時に、白兵戦を挑みに行った。武器らしい武器も構えていない今なら簡単に討ち取れると思ったのだろうが、
「……」
鈍重そうな外見とは裏腹に、白峰はひらりと身軽に騎獣から飛び降りた。騎獣を盾にして矢から身を守るのかと思いきや、なぜか手綱を離して後方に逃がす。その隙に鎧の隙間を貫いてこようとした槍の穂先を、篭手をはめた手でわしづかむ。
と、その槍の柄に、そしてそれを握っている『心臓』兵の両腕にブツリ、ブツリと真っ黒な〝穴〟が開いて行き――
「!?」
――風船のように大きく膨らんだその槍と両腕の陰に、白峰は身を隠した。
「えっ? あ……」
一瞬遅れでそこに矢が命中する。途中で軌道が大きく変わったのは、自動的に周囲の空気を取り込むその〝穴〟に吸い寄せられたからだろう。自分に一体何が起こっているのか分からない顔のその若い兵士を肘で突き飛ばすと、今や両腕だけでなく上半身までまん丸く膨れ上がったその肉体が、別の兵士数人に衝突する。
「伏せろ!」
指揮官が大声で命じるや否や、その兵士の肉体がバンッ! と生々しい音を立てて破裂した。目玉や牙や肉片や骨のカケラや臓物が飛び散り、青草に点々と血しぶきが広がる。辛うじて原型を留めていた兵士の両脚が左右別々の方向に力なく倒れた。
――目の前で仲間が無残な爆死を遂げたのを見て、或る者は恐怖に駆られて後ずさりし、また或る者は仇討ちに燃えて白峰に向かって行こうとする。
「散開! 散開!」
指揮官の怒号もむなしく、先の犠牲者の肉片や血を浴びた者にも次々と〝穴〟が開き、爆死者の数はネズミ算式に増えて行った。これこそが白峰のアニマ。生物だろうが無生物だろうが触れたものに〝穴〟を開け、自動的に空気を吸い込ませ続けて最終的に破裂させる。そうして飛び散った破片に触れたものにもまた〝穴〟が開くと言う恐怖の連鎖が、射程距離から逃れるまで延々と継続するのだ。
「げっ!?」
とっさに〝穴〟を塞ごうとした兵士の手が、周囲の空気ごとその内部へと引きずり込まれ、身体の裏表を半ば反転させながら弾け飛ぶ。一目散に小川へと走り、水中へと身を躍らせてその運命から逃れようとする者も散見されたが、空気の代わりに水を大量に吸い込んであえなく爆死、或いはその前に溺死を遂げる。
――逃げ惑う兵士達に白峰の部下が、そしてそれまでヘラヘラしていたハイエナ獣人が容赦なく追撃を加える。平原はたちまち屍山血河、阿鼻叫喚のるつぼと化し、あれだけ青々と茂っていた草は一本残らず薙ぎ倒されて、元の緑色の部分を探す方が難しい程だった。
「……」
しかしそんな一方的な大殺戮の中にあって、当の白峰は心ここに在らずと言った様子だった。地面にうずくまると、まるで泥遊びをする子供のように無心に血の海を掻き回したり、肉片を拾い上げてしげしげと眺めては肩越しにポイッと投げ捨てたりする。懸命に探し物を続けつつも、己の求めるものが決してそこには見つからないことを心の底では理解しているかの如くに。
――如何にも恐ろしげな風貌とは裏腹に穏やかで、理知的な黒い瞳を陰らせると、白峰は切なげにそっと呟いた。
「[[rb:陸 > くが]]、殿下……」
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▼2
「……」
『心臓』軍を難なく潰走させたのち。白峰は少し離れた場所にある小川のほとりで鎧を脱ぎ、身を清めていた。下流の川面は血に染まり、先程爆死した敵兵の肉片や装備の破片がプカプカと浮いているが、一向に気にする様子はない。透明度の高い水を白熊獣人らしい、黒い肉球のある大きな手のひらですくい、毛の流れに沿うように何度か擦る。[[rb:夥 > おびただ]]しい返り血で真紅に染まっていた毛皮は、たちまち元の雪のような白さを取り戻した。
「よっ、お疲れさん。さっきはおかげで助かったぜ」
そんな彼の大きな背中に、気安く声をかける者があった。血と排泄物の臭いで多少鼻が鈍っていたので、そちらを振り返る白峰。川べりに立っていたのは『左目』軍で指揮官を務めていた、垂れ目のハイエナ獣人の青年。相変わらず口元にも目元にもヘラヘラと軽薄な笑みを浮かべながら、こちらも返り血に染まった軽鎧を無遠慮に脱ぎ始める。
「いやぁー、『鼻』から援軍が来てくれるとは聞いてたけど、まさかあの〈鳳仙花〉率いる精鋭部隊とは。あんたんトコの王様も太っ腹だねぇ!」
下穿きもさっさと脱ぎ捨てて、一糸まとわぬ姿になる青年。背側にブチ模様のある毛皮が露わになる。ハイエナらしく短足ぎみだが、こうして見ると案外しっかりした身体つきをしていた。
――青年は前を隠そうともせず小川に入り、じゃぶじゃぶと水しぶきを立てながら白峰に近寄ってくる。その精鋭部隊の面々でさえ白峰のアニマを恐れて、こうした場面では滅多にちょっかいを出して来ないと言うのに、度胸があるのかオツムが弱いだけなのか。
「何せ山あいに位置する国ゆえ、到着が遅れてしまい申し訳ない。そのせいで、貴殿の部隊に不必要な損害を……」
「ああ、そんなこと気にしてたんだ? いいんだよ、バカ共が勝手に飛び出してっただけなんだから。あのザマじゃあ、どっちみちあんたのアニマに巻き込まれて死んでただろうよ」
かりそめにも自分の部下が犠牲になったと言うのに青年はヘラヘラした笑みを崩さずに、
「それと、『貴殿』はやめてくれよ。ガラじゃねぇし、あんたみたいな立派な将軍サマに呼ばれると余計に尻尾の付け根辺りがムズムズしてくるからさ。
――おいら、『ブチ』ってんだ。本名不明だからあだ名? 通り名? みてぇなモンだけど」
「こちらこそ、自己紹介が遅れて相すまぬ。[[rb:儂 > わし]]は白峰と申す」
無邪気に差し出されてきたブチの右手を、少し考えてから握り返す白峰。ブチはその感触が心地よさそうに目を細めた。
白峰自身は『鼻の国』よりももっと北方の出身のため、あまり実感がないのだが、この《楽土》においてハイエナは禿鷹等と並んで[[rb:賤民 > せんみん]]扱いされている。自分でも本名が分からないと言うのはきっとその関係だろう。取り分け『左目の国』ではそれが[[rb:著 > いちじる]]しく、戦においては消耗品同然にされていたらしい。
――しかし今代の〈端倪〉王になってからは、実力さえあればこうして指揮官クラスにまで登用してもらえると言うわけだ。
「いいのかい? おいらなんかの手ぇ握っちゃって」
垂れ目をいっそう垂れさせて、白峰の顔を見上げてくるブチ。未だに差別意識が根強く残っている地域では握手はもちろん、同じ泉から水を飲むのも嫌がるのを踏まえての質問かと思いきや、
「あんたみたいに〝接触〟で発動するアニマ持ちだったらどうする気なんだい」
「儂の手ごと吹き飛ばしてしまえば済む」
「ふぅん……」
左手を白峰の手の甲に重ね、そのゴツゴツした感触を楽しむように撫で回しながら、意味ありげにほほ笑むブチ。隆々たる筋肉の上に脂肪が乗った白峰の小山のような巨体を、そしてその股間にぶら下がる体格相応の巨根や、ずっしりと重たげに垂れ下がっている陰嚢を無遠慮に眺めると舌なめずりして、
「……おいら、強い男が好きなんだよね」
と言って身を寄せてくる。股間に伸ばされてきたブチの左手を白峰はやんわりと制止して、
「悪いが、先約がある」
「そいつは残念」
ブチはあっさり引き下がると手も離し、人懐っこい笑顔で白峰を見上げ、
「代わりと言っちゃあ何だけど、あんたの部下にコナかけても構わないかい? いい男が揃ってるモンだから、どうにも尻が疼いちゃってさ」
「それは構わぬが、もう半刻もすれば[[rb:出立 > しゅったつ]]せねばならぬからな。なるべく手短に頼む」
「りょーかい。
――いやはや、世間様の評判なんてアテにならないモンだね。あの〈鳳仙花〉がこんなに話せるお人だったなんて」
川から上がると、マントだけを簡単に身にまとうブチ。濡れてぺしゃんこになってしまっていた[[rb:鬣 > たてがみ]]をソフトモヒカンっぽく手櫛で整えると、
「そんじゃ、また。逢引相手にヨロシク♡」
白峰にウインクしてみせてから、「善は急げ」とばかりに彼の部下たちが集う方へと足早に向かう。ファザコンのケがあるブチとしてはドストライクだったのだが、
「そりゃまあ、名だたる将軍サマだもんな。誰か決まったお相手の一人や二人はいて当たり前だよなぁ。
――あーあ。近頃は陛下からもすっかりお見限りだし……。そろそろ[[rb:寿 > ことぶき]]退役とか考え始めてもいい頃合いかなぁ」
それにしても、まずはお相手を見つけないことには始まらない。『左目』軍には只今絶賛[[rb:番 > つが]]い募集中の象獣人も約一頭いるのだが、意外と理想が高いらしく、ブチみたいな尻軽はその長い歯牙にもかけてくれないのだった。
――幸い一人が誘いに乗ってくれたので、早速物陰に連れ込んで、その前にひざまずく。幼少期から徹底的に叩き込まれた技術でねっとり尺八してやると、そのピューマ獣人は逞しい下半身を震わせ、ブチの頭を両手で抱えた。
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▼3
一方その頃。その絶賛番い募集中の象獣人こと、[[rb:雷花 > らいか]]は『左目』軍を指揮し、海から攻め込んできた『顎』軍を迎え撃っていた。敵の水軍を率いるは中年の[[rb:鯱 > しゃち]]獣人・[[rb:潮 > うしお]]。上半身にこそ網目模様の羽織を申し訳程度に羽織っているものの、ゴム質の皮膚に覆われた逞しい肉体を誇示するように下半身は褌一丁で、武器らしい武器も身に帯びていない。雷花も種族柄相当な巨漢であるが、尾びれのある太い尻尾を含めれば潮の方に軍配が上がる。
雷花は大きな耳をはためかせながら、雷雲そっくりにどんよりと曇った、愚鈍にさえ見える目をもっと小さく細める。くぐもった声でボソボソと、
「……あれぇ? 噂の〝赤子〟はお出ましにならないんですかぁ? わたくしも一度この目で、〝伝説上の化け物〟を拝見したかったんですがぁ……」
「安心しな、ちゃんと会わせてやるさ――テメェを首だけにしてからな!」
武骨ながらもどことなく愛嬌のある顔立ちで不敵にニヤリと笑ってみせると、潮は手勢を船上やその付近に残したまま、単身『左目』軍に突撃してきた。『心臓』軍の二正面作戦に乗じて漁夫の利を狙ってくる辺りさすがは元・悪名高き海賊団の頭領。油断も隙もありはしない……と考えつつ、味方の弓兵には待機を命じる雷花。
――見た目に似合わぬ俊敏さで砂浜を駆けてきていた潮が、まるで砂の中に隠れていた岩か流木に[[rb:蹴躓 > けつまづ]]いたかのように前のめりになり、倒れ伏したかと思った次の瞬間、その巨体が掻き消えた。ちょうど矢の有効射程ぎりぎりの距離である。
「ほらぁ……ですから、狙っても無駄だと申し上げたでしょう……? あ、できれば皆さん少しでも高い場所に陣取って――」
雷花が言い終わらぬうちに、兵の一人が地中から足首を[[rb:掴 > つか]]まれると同時に全身が鎧ごと溶け、地面に崩れて激しい水しぶきを上げた。それを見た他の兵が慌てて岩場に登ったものの、潮の腕はその岩さえ水のように貫いて直接兵の足に触れる。雷花の周囲を固めていた兵たちは為す術もなく溶け広がり、干潟の水たまりに混じってしまった。
これこそが潮のアニマ。地面の下を潜航するも、敵兵を無力化するも自由自在。〝液状化〟している間はどんなに刃物で斬られても心臓を[[rb:抉 > えぐ]]り出されても死なず、射程範囲から逃れるか潮が術を解けば完全に元通りになるのだが、痛み等は普通に感じる。無論潮が己自身を〝液状化〟させれば敵からの攻撃を無効化することもできるので、攻防に優れたアニマではあるのだが――
「おっ……と。危ない、危ない」
雷花の足元から何の前触れもなく伸びてきた潮の腕を、黄色い稲光が襲う。雷花のアニマは「尖った物体」がこちらに向けられた瞬間、自動的に反撃を加えるもの。剣や槍を握っていなければ大丈夫だと思ったのかも知れないが、これは厳密には物の[[rb:先端 > ・・]]を狙う術。周囲と比べて突き出ているなら腕や、指先にだって反応する。
――地中から奇襲を仕掛けたところで自動反撃の前では無意味だと悟ったのか、潮が少し離れた「水面」にぷかりと浮上し、陸に上がった。とっさに手を引っ込めたおかげで直撃は免れたらしいが、右手の指の何本かに火傷を負っている。
渋い顔をしている潮をよそに、雷花は先刻の話の続きのように、
「この《楽土》の環境は人間には毒にしかならないから、なかなか表に出て来られない――と言うのは本当だったようですねぇ……? まぁ実際問題、〝伝説上の化け物〟がたった一匹だけ現代に甦ったところで、子孫も残せないまま早死にするのは火を見るよりも明らかですしぃ?」
「……」
大きな耳を相変わらずパタパタとはためかせながら、小馬鹿にしたように鼻を鳴らして言い放つ雷花。相手のそんな安い挑発に乗ることなく、潮は自らの脇腹に片腕を突っ込むと、そこから身の丈程もある[[rb:銛 > もり]]を引きずり出した。徒手空拳に見えていたものの、その実己自身を〝液状化〟し、多種多様な武器や道具を体内に隠し持っていたのだ。
銛を〝液状化〟させると、直接雷花に向かってではなく、その真上の空へと力任せに投擲する潮。頂点に達したところで銛は原型を失い、桶からひっくり返した水のように、雷花の脳天へと一斉に降り注ぐ。重力で加速したそれらが雷花の頭に触れる寸前に術を解き、元の一本の銛に戻す潮であったが――
「残念でしたぁ」
すかさず雷花のアニマが発動し、銛を電撃で打ち砕く。比較的大きな「尖った」破片をもその稲妻は枝分かれして再び襲った結果、雷花の灰色の肌に触れたのは真っ黒な、細かな煤ばかりであった。たとえ同じく〝液状化〟させた武器を何とかして鼻や口から吸い込ませ、体内から攻撃しようとしたところで、雷花のアニマはそれすら組織を切り裂こうとする寸前に破壊してしまうことだろう。
「あなたに勝ち目がないことは、これでよぉ~く分かったわけですしぃ……。ここいらで、兵を引いては下さいませんかぁ? 確かにわたくしの側も、あなたに対してはなかなか有効打を与えられないでしょうがぁ……。こんな所で遊んでいらっしゃる間にぃ、あなたの大事な人間のご容態が急変してぇ……。あっけな~く死んじゃうかも知れませんよぉ……?」
「うーん、その馬鹿デケぇ耳と、クソ長ぇ鼻は持って帰んのに邪魔だな。切り取るか」
火傷した右手の指と、無事な左手の指で長方形を作り、ああでもないこうでもないとその「額縁」を動かしながら呟く潮。その名の通り咲き乱れる花にも似た複雑な模様に覆われた、雷花の三日月状の牙へと視線を移し、
「……でも、その牙は若への贈り物に良さそうだな。なるべく傷を付けないようにしねぇと」
なぜか既に勝利を確信したような潮の口振りに、雷花は不快感を露わにし、
「〝赤子〟は是が非でも生け捕りにするように、とわたくし、陛下には厳命されているのですがぁ……。ご不在と分かれば、もはや手加減は無用、ですよねぇ……?」
「まだ分かんねぇのか? アニマって奴は〝魂のかたち〟。たとえ地面の中からでも、雑兵と一軍の将を見分けることくれぇオレ様にはお茶の子さいさいだ。
――なのにどうして、テメェを真っ先に狙わなかったのか」
雷花の周囲に飛び散り、大小の水たまりと化していた何人もの『左目』兵。同じく〝液状化〟した状態でそれらに紛れ込まされていた物体が、潮が術を解くと共に元に戻る。それは雷花を取り巻くように、幾重にも張り巡らされた極細の糸――否。糸状に肉体を解きほぐしていた、思わぬ[[rb:伏兵 > ・・]]。潮が己の体内に潜ませ、ここまで連れてきた相手。潮が上空に向かって銛を投げたのも、たとえ一瞬でも雷花の注意がそちらに逸れた隙に、文字通りの包囲網を完成させるため。
雷花にはそのアニマに見覚えがあった。同じ『左目』軍の将として、その持ち主と[[rb:轡 > くつわ]]を並べたことさえあった。しかしあの男は数ヶ月前の『顎』軍との戦闘中、生死不明になっていた筈。あちら側から特に身代金を要求されたり、捕虜交換を提案されたりはしなかったので、本国ではてっきり戦死したものと見なされていたが――こう見えても決して頭の回転は遅くない雷花がそこまで思い出した時には、既に漆黒の糸はその死の罠を狭め、彼のすぐ喉元にまで迫ってきていた。
「ああ……そう言えば、このアニマ。どこも『尖って』いなかった、ですねぇ……」
そう言い終えると同時に、雷花の牙に、鼻に、そして首にはピシリと横一文字の線が走った。まず二本の牙が、次に長い鼻がぼとりと地面に落ちてから、傷口から鮮血が噴き出す。目を凝らさなければ見えない程の細さでありながら、その糸は金属鎧程度であれば易々と切り裂ける強靭さを備えているのだった。
雷花の首が完全に胴体から離れ、地面へと転がり落ちると重い音を立てて僅かに弾む。それでも尚、一体何が起こったのか未だに理解できていない『左目』兵たちの目の前で、その一本の黒糸がしゅるしゅると細身の獣人のシルエットを描いていく。
――やがてそれは鼻の頭から尻尾の先まで漆黒に染まった、しなやかながらも鍛え抜かれた肉体を持つ豹の姿を形作った。
「なっ……!?」
「[[rb:墨雲 > すみぐも]]殿!? 一体どうして――」
動揺を露わにする『左目』軍。墨雲と呼ばれた豹獣人は無言で雷花の片耳を掴むと、その首級を彼らに対して示してみせた。滴り落ちる鮮血がその爪先を濡らす。高潔な武人として名高く、兵からの信頼も厚い墨雲がなぜ『左目』から離反し、人間を旗頭に掲げる『顎』などに[[rb:与 > くみ]]しているかは不明だが、雷花程の手練れが討ち取られた以上は自分たちに勝算は皆無。
――そう悟った『左目』軍は、敢えて勧告されるまでもなく、ほうほうの[[rb:体 > てい]]で撤退を始めた。すかさず追撃を加えようとした己の手勢を、基本術で増幅した大声で制止する潮。海賊時代からの子分が大半を占めていることもあり、血気盛んな水兵たちも、彼の命令にだけは素直に従うのだった。
潮は血の海にずかずかと裸足で分け入り、雷花の牙を一本ずつ拾い上げると、
「あーっ、中途半端なトコでぶった切れちまってんじゃねぇか! せっかく若への贈り物にするつもりだったってぇのに、どうしてくれんだよテメェ!?」
しかし墨雲は金色と緑色が複雑に入り混じった瞳で無表情に、
「……お前たちこそ、この先一体どうするつもりだ」
「どうするも何も、この沿岸部をこんまま占領・実効支配できるほどの数は預かってきてねぇからな。『左目』軍に圧力をかけるだけでいいって若は言ってたが、いっそ本国から追加の兵員を輸送してきてもらって――」
「そう言う意味ではない。雷花は平時の身辺警護を一任される程、陛下からの――〈端倪〉王からの信任が厚い男だった。それがこうして討ち取られたとなれば、『顎』征伐にいよいよ本腰を入れてくるに違いない」
「さすがは元・同僚、詳しいじゃねぇか。それとも〈端倪〉の野郎から直々に聞かせてもらったのか? [[rb:閨 > ねや]]で腕枕でもしてもらいながら、よ」
墨雲が祖国を丸ごと人質に取られ、〈端倪〉に慰み者にされていた事実を指して、皮肉っぽく口の端を歪めてみせる潮。しかしすぐに真顔になると象牙の先を突き付けて、
「……元・同僚の首を容赦なく[[rb:刎 > は]]ねたからって、オレはテメェのことを信用してねぇからな。テメェは本来、『左目』の属国にされた『右足』の王位継承権者。その意味じゃあ〈端倪〉の野郎はもちろん、『左目』の元・同僚だって祖国の仇も同然だろ?」
「お前のような海賊上がりに、王族間の政治的駆け引きや微妙な緊張関係が理解できるとは到底思えんが……。否定はせん」
「つーかテメェ、『左目』にいた頃から、この象野郎は[[rb:絶対勝てる相手 > ・・・・・・・]]だと当たりをつけてやがったろ? 何でまた気の合う[[rb:碧 > へき]]様じゃなく、オレの方にくっ付いてきたのかと不思議に思ってたが――こいつがこっち側に配備されると知ってやがったんだな」
「アニマと言うものは相性が肝要だ。有利を取れる相手がいると分かっているなら、そちらを優先的に始末するのは基本だと思うが?」
「ケッ。ま、相性の話をすんならテメェはオレ様にゃあ[[rb:絶対 > ぜってぇ]]に勝てねぇってこと、身にしみて分かってる筈だもんな」
そんな潮からの再度の皮肉も、墨雲は涼しい顔で受け流す。それが余計に気に食わない鯱は巨体を起こすと、長身とは言え自分よりも頭二つ分は低い黒豹を見下ろして、
「……覚えときな。万が一テメェが若や、若の大事な殿様に危害を加えようとした時は――」
「『今度こそテメェを正真正銘のキン抜きにしてやる』か? それはもう、聞き飽きた」
やはり鼻持ちならない上、油断もならない男だと言わんばかりに頭頂部の呼吸穴から鼻息を噴き出すと、相手に背を向け、象牙の汚れを洗い落とし始める潮。背びれの部分が膨らんでいるその羽織を見つめながら、墨雲は雷花の言葉を思い返していた。〝赤子〟こと[[rb:赫 > かく]]王子にはあまり時間が残されていないかも知れない、と言う。……
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▼4
半刻の間に徹底的に搾り取られたのか、すっかり足元がふらついてしまっているピューマ獣人の部下を叱咤しつつ、『鼻の国』へと帰還する白峰。彼の愛騎の健脚を以てしても三日がかりで、往復では都合一週間近く城を留守にしていたことになる。陸王子のことが気がかりで、騎獣の背に揺られる間も上の空の彼だったが、城の厩舎に愛騎を繋ぐと、重装備を解きもせず主君へと報告に向かう。
「ん。ご苦労、ご苦労」
玉座にだらしなく腰かけ、頬杖をついていた狼獣人――〈磨崖〉王はそれを適当に聞き流すと、牙や歯茎を剥き出して長いマズルに皺を寄せ、大あくびをした。彼からの報告など敢えて聞くまでもなく、より詳細にわたって把握していると言わんばかりの態度である。
灰色の毛並みはぼさぼさ。真っ昼間だと言うのに、薄い水色の瞳は眠そうにトロンとしている。個々のパーツだけを見れば狼らしく精悍な顔立ちの筈なのに妙に間抜け面に見えるのは、それらの配置が絶妙に狂っているからか、鷹揚を通り越していい加減な言動のせいか。王冠もかぶらず王笏も握らず、豪奢なマントや宝飾品も身に着けず、七分丈の質素なシャツにズボン姿。こうして玉座に腰かけていなければ、出入りの家畜商人か何かに間違えられかねないところである。
――しかし白峰は知っている。一見気さくで親しみやすいこの若き王が、己の肉親すら平気で同盟国に売り飛ばす恐るべき策謀家であることを。
玉座の斜め後方に、影のように控えているのは耳長山羊の少年。ほんの半年ほど前に王がどこからか見つけてきて、小姓として召し抱えた[[rb:飛車丸 > びしゃまる]]である。手触りの良さそうな、艶やかな黒い毛皮。少女と見紛う端整な顔立ちをうつむき加減にし、胸先に達する程に長い両耳で半ば表情を隠すようにしている。先方は〈磨崖〉以外の男になど見向きもせず、また白峰の側からも一度も話しかけたようなことはないが、極めて強力な――或いは危険なアニマの持ち主であることは白峰も感じ取っていた。自分のような男が言えた義理ではないが、この少年の〝魂のかたち〟もまた酷く歪んでしまっている。
(しかし……)
意識を〈磨崖〉へと戻す白峰。一方で王からは、彼が[[rb:爆 > は]]ぜ散らした雑兵にも劣るアニマしか感じ取れない。己が術士としての才能に欠けている事実を幼少期から自覚していたからこそ、『左目』と言う大国の陰で狡猾に立ち回る道を選んだのだろうか? それとも、「敵を欺くにはまず味方から」と言うことなのだろうか?
〈磨崖〉はそんな白峰の内心を知ってか知らずか、三角形の耳の内側をボリボリと掻きながら、
「もうここはいいからさ、陸殿下んトコに行ってやれよ。さっきから気もそぞろって感じだぜ?」
「その――あれから、殿下のご容体は……」
「だから、そんなに心配なら早く行けっての。何が楽しくて、むさ苦しいオッサンがモジモジしてるトコ見せられなきゃなんねえんだよ。
――あ~、[[rb:痒 > かゆ]]い痒い。飛車丸ぅー」
玉座の肘掛けに寄りかかり、片耳をぴょこぴょこと動かしてみせる〈磨崖〉。それまで微動だにしなかった飛車丸はすかさず主君のお求めに応じ、うやうやしげにそちら側の耳を指で掻いて差し上げる。王は如何にも心地良さげにため息をつき、ふさふさとした尻尾で玉座を掃いた。
――今の自分は完全にお邪魔虫だと悟った白峰は、無言で頭を下げるとその場を辞去し、陸王子の寝起きする離れの塔を目指したのだった。……
王子と言っても陸は『鼻』の王族ではなく、『左目』の〈端倪〉王の[[rb:末子 > ばっし]]である。生まれつき心臓に欠陥があり、二ヶ月前からこちらで転地療養中。白峰は〈磨崖〉の命を受け、その間お目付け役を仰せ付かっているのだった。
――そうは言っても今回『左目』への援軍に馳せ参じたように彼にも将軍としての責務があるので、四六時中つきっきりと言うわけにも行かないのだが。
「殿下に置かれましてはお変わりなく――」
と畏まって述べようとした白峰の口上が、ふと止まった。それまで鏡台に向かって何やら櫛や[[rb:鋏 > はさみ]]を使っていた黒獅子の少年がこちらを振り向いた時、この一週間足らずの間に生じた、或る変化を見て取ったのだ。
「……おお。これか?」
陸はようやく生えかけてきた鬣に触れながら、
「今朝がた、顔を洗おうとして気付いたのだ。私ももうそんな年頃になったと言うことだろう。当地で生活を始めてからと言うもの、胸の発作も一度も起きておらぬ故、その影響もあるやも知れぬが」
口調や態度はまだ少し無理して大人ぶっている印象があるものの、転地療養にやってきた当初に比べると顔付きが凛々しくなり、手足にも筋肉がついてきている。白峰にも心を許さず、この部屋に引き篭もっていた頃が嘘のようだ。
「――それともお前に、[[rb:男 > ・]]にしてもらったおかげかな?」
悪戯っぽくほほ笑みかけられて、傷だらけのいかつい顔に朱を散らす白峰。お目付け役だった筈が、彼はあろうことかこの息子か、下手をすると孫ほどにも年の離れた異国の王子と深い仲になってしまったのだ。しかも、彼の方が女役で。
「しかし予想はしていたが、鬣まで真っ黒なのだな。父上はツートンカラーなのに、遺伝と申すのは不思議なものだ。生え揃ったら編み込みでもしてみるか。
――それともお前は、綺麗に剃っていてほしいか?」
「いいえ……。よく、お似合いで」
「ふふ。そうか?」
黄色っぽい目を細め、自慢げに撫でてみせる陸だったが、ふと本題を思い出したように、
「そうだ。陛下からお聞きしたのだが、お前、流れの傭兵時代から〈鳳仙花〉なる異名で評判を取っていたそうだな。鳳仙花の熟した実の如く、弾け飛ぶ敵兵。その真紅の花弁の如く、返り血に染まる白い毛皮。そんな[[rb:洒落 > シャレ]]た呼び名があるのなら、私にも教えてくれれば良かったものを」
「……評判は評判でも、悪評に御座います」
きっと彼の不在中を狙ったのだろう。「だって殿下が随分と心細そうにしてたからさあ、ちょっとした話の種に。鳳仙花だけに?」と臆面もなく答える〈磨崖〉の姿を想像し、苦虫を噛み潰したような表情になる白峰。そう、本当は己のこのおぞましいアニマのことも――すなわち己の醜い〝魂のかたち〟のことも、白峰は、このまだ幼い王子にだけは知られたくないと願っていたのだった。
「だがそんな〝悪評〟も、[[rb:戦場 > いくさば]]では役に立つ。だろう?」
その異名を耳にしただけで恐れをなし、退散する敵も多いだろう。戦闘を回避することまではできなくとも、今回のように見せしめに数人無残に爆死させてやれば、大抵の兵は怖気付く。白峰の実力以上にそんな〝悪評〟を買ったからこそ、先代の王は流れの傭兵に過ぎなかった彼を取り立て、当代の〈磨崖〉王も将軍の位まで与えて重用してくれているのだ。
「――それで、[[rb:満足 > ・・]]できたのか?」
「……!」
陸からの問いかけに身をこわばらせると、小山のような巨体を小さく丸め、顔を伏せてしまう白峰。陸は鏡台の前の椅子から降りると、つかつかと歩み寄ってきて、相手の[[rb:面 > おもて]]を上げさせた。こうして床にうずくまっている体勢でも、両者の目の高さは殆ど変わらない。陸は相手の傷だらけのいかつい顔を両手で挟み、顎周りの毛をくすぐりながら、
「たかが雑兵を十人や二十人爆ぜ散らせてやったところで、お前は勃ちもせぬであろう。それとも少しは、股引を濡らしでもしたか?」
「……」
まだあどけなさの残る悪戯っぽい表情で、平然と、そんな物騒なことを尋ねてくる陸。しかし図星を突かれた白峰は相手の顔を真正面から見ることもできず、ただ気まずそうに口篭もる。
――アニマとは〝魂のかたち〟。一騎当千のこの凶悪な能力に幼くして目覚めた代償に、白峰は夥しい流血や飛び散る臓物を見ることでしか性的に満足できなくなってしまったのだ。そんな酸鼻極まる光景すら、目の前で幾度も繰り返されるうち次第に「見慣れたもの」へと変じ、刺激としては物足りなくなっていってしまう……。
(あのブチなるハイエナ獣人の若者は、儂のことを立派な将軍サマだと[[rb:煽 > おだ]]ててくれたが)
と白峰は思い返す。
(それは見込み違いと申すものだ。儂はただの、狂った獣……)
「こんなに立派な物をぶら下げていると言うのに。お前も因果な性分だな」
「っ……!」
陸が片手で器用に白峰の[[rb:股鎧 > コッドピース]]を外し、股引越しに股間の巨大な膨らみをまさぐってくる。返り血こそ綺麗に洗い落としてあるものの、その後数日間騎獣の背に揺られていたためそこは蒸れ、汗はもちろん白峰本来の体臭を漂わせている。そんな所を異国の王子の小さな手でオモチャにされると言うだけで背徳感にさいなまれ、いかつい顔に再び朱を散らす白峰だったが、肝心の獣根の方はピクリとも反応しない。
「相変わらず、か。まぁ、不貞の心配をせずに済むのは良いが」
「滅相も御座いませぬ……! 儂がお慕い申し上げておりますのは陸殿下、ただ、お一人――」
冗談の通じない奴だと言いたげに片方の口角を上げると、陸は白峰の口を己の口で塞いで黙らせた。片手で股間をまさぐり続けながらお互いの唾液を混ぜ合わせると、まるで先走りの汁の代わりとでも言うように、白峰の唇の裂け目から涎がこぼれ落ちる。白峰が篭手をはめたままの両手を恐る恐る陸の背中に回し、その[[rb:矮躯 > わいく]]を抱き寄せる。まだ[[rb:躊躇 > ためら]]いがちではあるものの、自分から舌を絡めて行きつつ、
「むうっ。ぬっ、はあっ……。殿下……。お淋しゅう、御座いました……」
陸は相手の唇の裂け目から、口の中に直接息を吹き込むようにして、
「寝台に上がれ」
「ですが……」
せめてその前に簡単にでも、身を清めさせてほしい。そう言いたげに口を濁す白峰の毛深い頬にマズルを押し付けると、陸は大きく深呼吸をして、
「私は、お前のにおいが好きなのだ。――安心、するからな」
まだ腹の中にいる間に母に自害され、父にして祖父でもある〈端倪〉には後継者として大いに期待を寄せられこそすれ、親らしい愛情など一度も注いでもらえなかった。実の兄やおじ同然に慕っていた墨雲なる将軍も、どこぞの戦場で行方知れずになったと聞く。同盟関係を強化する目的もあるとは言え、今はこうして異国の地でたった一人療養中。
気丈に振舞ってはいるものの、そんな陸が常々感じているであろう孤独や重圧を少しでも和らげてやりたいと思った白峰は、言われた通り寝台の足側に腰かけた。彼の体重と鎧の重さでふかふかの布団が深く沈み、寝台の脚が軋む。まだ脛当ても装着したままの白峰の脚の間にひざまずくと、陸はその股間の膨らみに顔をうずめた。
「ああ、殿下……」
(後略)
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